監修:S・マーフィ重松(東京大学助教授) 監修・翻訳:岩壁 茂(お茶の水女子大学助教授)
■VHS ■日本語字幕スーパー ■収録時間:43分 ■解説書付
■商品コード:VA-2002 ■¥48,600(税込) |
|
 |
心理療法は、クライエントの提示する「心」の問題にその個人の内的、または心的要因を見い出し、個人を変えるよう促す。しかし、制度や慣習などの環境的要因が心の問題や障害に関与しているならば、症状をもつという理由でその個人に対して「変容」を促すことが適切だろうか。もし、そうならば、心理療法をはじめ、メンタルヘルスという営みは、社会における問題を個人に押し付けてはいないだろうか。心理療法において常に存在してきたこの重要な問題の解決に積極的に取り組んできたのが、フェミニストセラピーである。それは「女性」のための心理療法にとどまらず、社会、政治、人種、経済、文化など人間の心の発達を取り囲む様々な要因に注意を向け、人が社会の圧力の中で見失いつつある「主体性」を取り戻し、自分の声で自分を語ることをその中心作業としている。ローラ・ブラウン博士は、1960年代に現れたフェミニストセラピーを「女性による女性のための心理療法」から一つの主要な心理療法の学派の位置まで高め、精神医学、臨床心理学におけるジェンダーの理解に多大なる貢献をしてる。
ローラ・ブラウン博士 (ワシントン大学心理学臨床教授)
|
ローラ・ブラウン博士について
ローラ・ブラウン博士は、ケースウェスタンリザーブ大学より心理学士を取得後(1972年)、臨床心理学修士号(1975年)と博士号(1977年)を南イリノイ大学カーボンデイル校より取得。現在はシアトルで心理療法士、法廷心理学者として個人開業し、ワシントン大学の臨床教授として教鞭を執る。博士は「心理学における女性」協会より著述貢献賞、アメリカ心理学協会、「心理学における女性」委員会と「レズビアンとゲイを考える」委員会より最も引用された心理学者を讃える賞、ワシントン州心理学協会より名誉賞を受賞している。またアメリカ専門心理学委員会の臨床心理士としての認定資格を有し、アメリカ心理学会(American
Psychological Association)及びアメリカ心理学協会(American Psychological
Society)の評議員を務める。
フェミニスト療法の概要
フェミニスト療法は、フェミニストの政治分析と女性とジェンダーに関する心理学的知見に概念的基礎をもつ技法折衷アプローチである。この療法は、表面的にはあまり他の心理療法と変わらないように見えるが、クライエントの生活史、また治療関係に起きる事象に対する理解の仕方、意味付けにおいて大きくことなる。この意味と概念の違いがこの療法の特徴であり、男女両方のクライエントに有益であるといえる。
フェミニスト療法家が最も注目するのは、ジェンダーやジェンダー化された経験が、人が自分の人生を考える過程や治療を求める際に触媒、またはきっかけとなる心理的苦痛の悪化にどのように影響を与えるのかという点であるが、それが唯一の注目点ではない。さらに、権力と支配という社会母体の中でジェンダーと交差する、人種、社会的階層、性的指向(sexual
orientation)、年齢層、能力など他の因子に注意を払い、多文化主義のパラダイムと研究データに理論を関連づける。フェミニスト療法は、人々が自己と自己の体験に気付き、それらに「自分自身」の言葉を与える力を失っていく過程に注目し、社会、文化、政治的現象がどのように人間の発達と交錯するのかを理解しようと試みる。そして、心理療法がそれを取り巻くより大きな社会政治的環境においてもつ意味を認め、心理療法を政治的な行為と見なす。この療法は、セラピストとクライエントの権力関係の不均衡を認め、クライエントに意図的に力を与え、セラピストと同等の権威を持つ者であることを示す積極的な努力をすることによって平等な治療関係を作ることを目指す。クライエントは自分の人生に対してもつ権威がどのように奪われたのかを発見し、治療関係を一つのモデルとしてその権威を取り戻し、自らの「声」で語ることを励まされる。
クライエントの素性
■エレン ■年齢:34歳 ■性別:女性 ■人種:白人系アメリカ人 ■婚姻関係:独身 ■教育歴:芸術系専門学校にて3年間絵画を勉強 ■両親:父(60歳、巡回裁判所判事);母(58歳、ピアニスト);クライエントが12歳の時に離婚、クライエントは、その後父と父の妹に育てられる。エレンは、離婚以来、母との連絡は全くない。 ■兄弟姉妹:弟(32歳) ■職業:アートギャラリー、美術専門書店で臨時雇用
関連する出来事
エレンは6ヶ月前に窃盗と薬物所持で逮捕された。数週間前に、窃盗の件では無罪になったが薬物所持は有罪となり、裁判所は臨床心理士に診てもらうようにとの指示を彼女に与えた。そこで彼女は紹介されたブラウン博士と会う予約をとった。
逮捕は、エレンが臨時で働いていたアートギャラリーで「成功して一発当てた」と思ったあとに起こった。彼女が企画した新しい展示会のオープニングパーティーのあとのことだった。
パーティーでエレンは、客と混じり、社交に励み、新しいコネを開拓した(コカインの力を借りて「きらめいて」いた)。そしてギャラリーの裏部屋に、まだ目録に載せられても倉庫に送り返されてもいない油絵が前の展示会から置き忘れられているのを見つけた。彼女はこれを自分にとってまたとない最高のチャンスだと思い、その絵を「拝借」してギャラリーのために売買契約を結んでやろうかと考えた。またギャラリーのオーナーに自分が契約に取り次げたということを知らせるか、売ったお金は自分のポケットに入れていまおうかと考えた。
オープニングパーティーのあと、エレンは自分が閉店の準備をすると言って幾人かの友人と居残り、かなりの量のコカインをやった。油絵と、コカインが半分入った小さなガラスのびんを手にすると、タクシーに乗り帰途についた。
彼女はその晩遅く自分のアパートで逮捕された。その時はあまりにもハイになっていたために事の深刻さが分からなかった。のちに、自分がどんなに大きな問題を起こしたかを理解し、「どうしよう。ばれてしまったわ。自業自得だわ。私が見てくれだけだったってことが皆にばれてしまう。今回は、もう自分ではどうしようもないわ。父にも知られてしまうかもしれない!」と思った。
エレンはそれまで一生懸命自己イメージを作り、自分がなりたい人間のイメージを寄せ集めてきたのだ。
裁判のあと、「嘘をついたり、人を騙したり、慌てふためいたり、ともう沢山だわ。」と自殺を考えることもあった。
2年前にも、エレンは働いていた書店で不正行為を働いていた。他の支社での買い物に使われたクレジットカード番号を使い、本を購入したとレジに打ち込んでから返品として購入をキャンセルし、その返品額を現金で盗んでいたのだ。本屋のオーナーが彼女を疑い、首になった。そのころから、エレンは不安やパニック症状を覚えた。
さらに大学生だった15年前のことである。アパートに男が不法侵入して「セックスを強要された」ことがあった。そのときエレンはかなりのドラッグをやっており、顔を隠した男が部屋に入って彼女をベッドに押さえ付けたとき、彼女は男の顔に見覚えがあると思った。事が終わると、彼女はこの事件をそれほどひどい経験だとは考えなかった。よって警察にも連絡せず(「私のことを誰も信用しないわ」)、弟にしか話さなかった。弟は臨床心理士に会いに行くようにと言ったが、彼女は行かなかった。
これまでの面接の経緯
第1回面接
インフォームドコンセントと治療アプローチについて話し合い、経歴情報収集、治療者とクライエントの治療関係づくりがはじまる。エレンに、薬物依存者のグループ(Narcotic
Anonymous:アルコール依存症者匿名協会AA(Alcoholic
Anonymous)とその他の薬物依存症者のための集会)に参加することを考えてみてはどうかと伝える。
第2回面接
経歴情報収集、治療者とクライエントの治療関係づくりが続けられる。エレンの心理療法の作業へのアンビバレンスと、心理療法を受けることを命令された状況の中で、それを彼女が自分の選択として考えることの難しさに焦点を当てる。具体的には面接においてどうやって彼女がエンパワーメントを達成できるのか、そしてどうしたら面接の主導権をとれるかという点に焦点を当てた。前回と同様に薬物依存者の12段階性のNAに出席することの利点と欠点について話し合った。彼女は薬物依存者のグループに行くかどうか、それをどうやって決断したのか観察するように求められた。また、彼女が家族の中で育った経験のより詳細な部分に焦点を当てるようになった。
第1回面接と第2回面接のあいだ
エレンは、薬物依存者の集会に出席してみた。
第3回面接
ビデオに収録 |